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  梅本商行の歴史
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  昭和36年、プラスチック製超小型ヨットを当社によって発案、それを日本ポリエステルに製作依頼して、実際に阪急、阪神、大丸など市内の有名デパートで展示発売するまでに漕ぎつけたという、ちょっと夢のある話がある。
  その昭和36年2月、あるひょんなことから製品を買っていた京都のKプラスチック工業(その後間もなく解散)の営業主任をしていた宇都宮健(その年7月当社に入社)が、当社に話を持ち込んだのが事の発端である。
  彼は阪神間の芦屋海岸に住んでおり、彼の話を要約すると「毎朝早く誰とも知れぬ若者が、小さな手作りらしい舟にセールを立てて、そのセールには彼の勤務先らしい会社の名前を書いて、たどたどしく帆走している。一見しても決してスマートな恰好ではないが、彼の愛社精神には感心した。それにヒントを得たのだが、あれを今少しスマートに設計して、お菓子や飲料水、その他化粧品メーカーなど宣伝に力を注ぐ会社に売り込めば面白いのではなかろうか。例えそれらのメーカーが直接購入しなくても、宣伝広告の媒体として、海水浴場や湖畔の貸しボート屋などに置かせたら、近ごろ流行のレジャーブームと相まって、相当の需要が期待出来ないだろうか」というのである。
  ちょっと面白い発想なので、いろいろと素人なりの設計を施し、大体の完成図が出来たところで、FRPの専門メーカーである日本ポリエステルの営業部長に相談を持ち込んだ。彼もこれは面白いということで、早速同社の技術陣も入れてプロジェクトチームを結成、その中には日本触媒化学工業の社員で、元学生ヨットチャンピオンの経歴を持つ人物が加わり、彼の専門的な指導のもと夢多き超小型ヨット作りが始動したのである。
  何とかしてその年のサマーシーズンに間に合わせようと、日夜ああでもない、こうでもないと議論百出、研究試作を推進した結果、ついに4月中旬に第1号艇が曲がりになりにも完成した。早速宇都宮の住む芦屋海岸で試走させたところ、当時あいにくの煙突の煙が真上にたつといった全くの無風状態で、所期の成果は得られなかったが、何とかこれなら行けそうだという目安が立ったので、その後2、3の改造を施し、待望の商品として数艇を作った。そしていよいよ朝日、毎日、読売、産経、神戸などの日刊紙の記者及び大阪、神戸の有名デパートのスポーツ用品担当係員を招待して、6月14日西宮ヨットハーバーで第1回公式試走会を開いた。
  結果は思わざる成功で、翌日の朝刊には各紙写真入りで大々的に紹介してくれたのである。この商品は“POU(プー)”と命名され(フランス語で虱のことである)、その後早速阪急、神戸大丸から展示用だが納入依頼があった。
一方若者にアピールするため、琵琶湖(近江舞子)で同志社や京大の学生に試乗を頼み、デモンストレーションを行った。この時一緒に連繋しておいた数艇が、目を離している間に無人で快走(?)するというハプニングがあったが、かえってユーモラスな効果があり、喝采を浴びたのである。
  まあこの辺までは誠に順調な経過で、話としては面白いのだが、引き続いて新聞などをみた一般客の引き合いや注文が入り始め、どこから伝わったのか遠くスウェーデンの貿易商からもサンプル注文がきた。
  ところが、そこが素人の情けなさ、いざ本番のオーダーもの製作にあたって、セールの同じ生地、色、価格の現物が見つからない。八方手を尽くしたが全く手に入らないのである。そればかりか試作品には細かい金具など適当な店売りもので間に合わせていたので、これらとて寄せ集めるのに苦心惨憺を重ね、当面約10艇ほどの製作がやっとという始末で、ほかはとてもシーズンには間に合いそうもない。当然苦情が続出し、キャンセルを喰うのが落ちであった。その後何とか20艇余の納入を済ませた頃は、既にシーズンが終わっており、誠に後味の悪い始末を以って、夢多きヨット作りのプランは立ち消えとなってしまったのである。
   
 
 
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